こだわり1
素材のホウキモロコシは農薬不使用・自社栽培
中津箒は「ホウキモロコシ」という素材でつくられています。
ホウキモロコシは、イネ科モロコシ属の植物で、江戸時代のころから主に東日本で、室内用の座敷箒の材料として栽培されていました。
穂先がしなやかでわずかに油分を含むのが特徴です。
そのため、ホウキモロコシで作られた箒で畳の上を掃くと畳につやを与えることができます。
箒作りに使用するホウキモロコシは初夏に種蒔きをし、盛夏に収穫されます。
箒作りではホウキモロコシの選別作業が最も重要な仕事とされており、かつては経験を積んだ職人の親方の仕事でした。
国内での箒作りの衰退とともにホウキモロコシの栽培も減り、失われかけていましたが、中津箒ではホウキモロコシの栽培を再開し、農薬不使用で自社生産しています。
種子を探すところから始まったホウキモロコシ栽培も数年で軌道に乗りました。
現在でも国産のホウキモロコシは、一般に流通することがほとんどない稀少な作物です。
こだわり2
濃淡や経年の風合いを楽しめる草木染
中津箒では編みの素材として、昔ながらの針金に加え、天然染料を用いた綿糸を使用しています。
糸は草木染をしています。
ホウキモロコシの種染は、箒の材料である、ホウキモロコシの種で染めた中津箒オリジナル。
ピンクがかった淡いベージュ~ピンク、淡赤に染まります。
藍染は植物から採れる染料を使った、伝統的な青色。染め具合により濃淡をつけています。
つくり手による手染めになりますので、個々の風合いがあり、色の濃淡・色調はその時々により変わります。
また、草木染めは色移りや経年による自然退色することがあります。手作り、自然素材だからこそのオンリーワンの風合いと、経年の変化に、使い込むほど愛着が増してくると思います。
こだわり3
「払う・清める」道具である箒
古来、箒は生活に欠かせない道具である一方で、掃除の道具であることから連想される「払う・清める」といった意味合いをもつ、呪術的な道具であるともされてきました。
海外でも箒に乗る魔女のイメージがありますが、日本国内でも、あまり歓迎されない来客を早く帰らせるために箒を逆さまにして置いておくというおまじないや、掃き出す道具であるということから妊婦さんのお腹を箒でなでると安産になるとされたり、魔を払うというイメージから、箒を亡くなった人の横に置いたり葬列の先頭を歩く人が掲げたりと、地域や時代によってさまざまな使われ方がされてきました。
どのような道具であっても、その道具だけが単体で存在するわけではなく、必ずその道具にまつわる人の生活や社会、文化が一緒に存在します。現代ではかつての箒の呪術的イメージはすでに薄れていっていますが、箒が使われ続けることでまた箒にまつわる新しい文化、新しい意味合いが生まれ、育っていくかもしれません。
こだわり4
伝統の箒づくり復活の歴史
中津の箒作りは柳川常右衛門という人物から始まりました。
幕末~明治維新の頃、柳川常右衛門は諸国を渡り歩き、
箒の製造技術と原料であるホウキモロコシの栽培方法を学んで、故郷に持ち帰ったといわれています。
大正~昭和初期になると、箒作りは中津村周辺の一大産業となります。
このころには中津村のほとんどの農家がホウキモロコシを栽培しており、
男性は箒を作り、女性や子どもは「アミ」や「トジ」という仕上げと飾り付けの作業を行って、
多くの人が箒作りに関わっていました。
戦後、中津の箒職人たちは、安価なホウキモロコシを仕入れることを目的に、
台湾でホウキモロコシ栽培と箒作りの指導を始めるようになります。
しかし、やがて台湾での製造技術も向上し、ホウキモロコシだけでなく
箒自体も安価で日本に輸入されるようになって、
国内の箒産業は大きな打撃を受けることになりました。
さらに昭和30年代になると、電気掃除機や西洋風の生活様式の普及により、箒の需要は急激に衰退。
その後も機械生産の安価な箒や海外製の箒が主流となり、
国産の手作りの箒はあまり目にされることがなくなっていきました。
職人も徐々に高齢化し、箒作りは料亭や旅館向けに、細々と続けられるのみとなりました。
そこで2003年、6代目にあたる柳川直子さんが、箒作りを復活させて後世に伝えていこうと決意し、
屋号であった「山上」を冠した新会社「株式会社まちづくり山上」を設立します。
その後、中津に伝えられた技術で作られた箒を「中津箒」と名付け、
失われかけていたホウキモロコシの栽培の復活、箒作り体験ワークショップ、
若手職人の育成といった事業を進めました。
つくり手
箒作りの伝統技術を守り伝える職人集団
伝統的な箒作りの技術を現代に残し伝えていくため、2003年に設立された「まちづくり山上」。
箒の製造・販売、作り手の育成、ミニ箒作り体験ワークショップなどを行っています。
中津箒の製造工程は、すべて職人による手作業で行います。
現在、まちづくり山上には新たに箒作りを志した若手やかつての中津の箒作りを経験したベテランを含め、
10名ほどの職人が在籍しています。
また、昔ながらの箒の製造だけでなく、現代の暮らしや仕事に合わせた新しい箒の開発も行い、
各地のイベントや百貨店での直売、卸販売、またワークショップや箒についての講演会などを通じて、
箒と箒の文化にまつわる新しい箒産業のかたちを目指し、日々活動しています。さらに、国内や世界各地の箒を集めた箒博物館「市民蔵常右衛門」の運営もしています。
まちづくり山上の主な職人たちを紹介します。
■吉田慎司(よしだしんじ)
2007年より箒作りを開始、まちづくり山上の社員として現在北海道小樽を拠点に活動している。
製作の他にイベント企画や箒の実演、販売などマルチに行う。
武蔵野美術大学彫刻学科卒業。
主な受賞に、第51回ちばてつや賞佳作、9thSICF準グランプリ、2011年より日本民藝館展入選など。
LEXUS NEW TAKUMIPROJECT2017年度匠神奈川代表。2021年度日本民藝館展協会賞受賞。
■伊藤由佳(いとうゆか)
飲食店や衣料雑貨店を勤務後、まちづくり山上に入社。
箒製作のほか地域のイベントやワークショップなどを担当している。
多摩美術大学造形表現学部デザイン学科卒業。2022年度日本民藝館展準入選。
■脇田さち(わきたさち)
中津箒を初めて見た時に目が釘付けとなる。
箒作りの技術や箒のある暮らしを後世に伝えていく一員となりたいと強く思い、
17年勤めた会社を退職してまちづくり山上に入社。2022年度日本民藝館展準入選。
■杉本隆志(すぎもとたかし)
ホウキモロコシの畑管理と箒製作を担当。一般企業など日本各地での勤務を経て、地元神奈川に戻る。
外国の知人友人の影響で日本を客観視する機会に恵まれ、
地元神奈川、広い意味での「地元日本」をより好きになり、
地元の民芸・手工芸および文化を絶やさず継承したい思いで勤務。2022年度日本民藝館展準入選。
■永塚汐里(ながつかしおり)
材料の栽培から箒作りを行う中津箒の背景に共感し、一般企業勤務を経てまちづくり山上に入社。
箒制作の他、各主催事や畑作業にも携わっています。2022年度日本民藝館展入選。
■今井伸朋(いまいのぶとも)
中津箒の魅力や箒作りに携わる人々の魅力に感動し、その感動を一人でも多くの方々に知っていただきたいと思い、
2022年2月よりまちづくり山上で箒作りを開始。2022年度日本民藝館展入選。
保存方法
穂先を折らないようケアを
穂先が傷み折れ曲がる原因となりますので、穂先を床につけて立てかけず、必ず吊るして保管してください。
また、浴室など高温多湿の場所や、夏期はカビが発生しやすくなりますので、ご注意ください。
ご注意点(ご注文前に必ずご確認ください)
■サイズ・色につきまして
(上から)
荒神箒、
煤払い箒、(左下)
珈琲ミル、(右下)
山型小箒
(上)
煤払い箒 藍染、(右)
煤払い箒 ホウキモロコシ種染
色は、同じ商品でも個体差があります。
■ご使用方法につきまして
・ご使用の際は、軽くなでるように床などを掃いてください。
ベッドの下や、たな、隙間などへ無理に押し込んでの使用はおやめください。穂先の曲がりや俺の原因となりますので、穂先に力がかかりすぎないようご注意ください。
・汚れが気になる場合は水かぬるま湯でさっと洗い、風通しのよい場所に陰干ししてください。洗剤のご使用はおやめください。
・火気に近づけないでください。
・手染めの糸は、水濡れによる色落ち、色移りをすることがありますのでご注意ください。小さなお子様は使用する場合は、必ず保護者の監視のものとにご使用ください。また、ペットの誤飲などにもご注意ください。
・天然の素材を使用しているため、木や草のひび割れ、ささくれなどがある場合があります。ご使用の際は尖った部分などに注意して使用してください。
■商品につきまして
・草木染は色移りや経年変化での自然退色があります。
・素材の特性上、無理な力を入れず使用した場合でも、自然と穂先が曲がったり折れたりすることがあります。
・穂先の曲がりを直す場合は、水やぬるま湯に浸し、布や新聞紙などで軽く水分を取り、形を整えて乾かしてください。
・穂先は使用しているうちに自然とすり減り、短くなります。
また、穂先にばらつきがでて使用しにくい場合はハサミなどを使用し、お好みの形に切整えて使用してください。
穂先は短くなるほど硬くなりますが、初めはお座敷、次に板の間、土間、庭など順番に使用場所を変えていくのは
昔ながらの使い方となり、長くご愛用いただけます。
・商品はすべて手作業で制作しているため、一点一点大きさや風合いが異なる場合があります。